空手道誠真会は、群馬県下の太田市、館林市、渋川市、兵庫県芦屋市の各道場で、空手を通じて人格を形成すべく、稽古に励んでいます

更新情報・お知らせ

2008/10/29
我が空手道part2   -稽古-
2008/09/16
私の20世紀少年PART2
2008/09/14
まさかの初老紳士
2008/09/14
上田伝説 EPISODE 3 -穴-
2008/08/24
私の20世紀少年 −part1ー
2008/08/13
再燃!土方歳三
2008/08/08
8月7日 -ど忘れの内容-
2008/07/13
ラーメン山岡家の謎
2008/06/15
2008 夏季昇段昇級審査会 −黒帯誕生−
2008/05/06
第14回全日本青少年大会 祝!第3位

空手道誠真会の目指す空手

誠真会の目指す空手は、人生にとって、また日々の生活にとって意味のある空手です。

少年部:礼節 (礼儀は周りとの関係を良くする潤滑油。謙虚さと感謝の気持ちを身に付ける。)

    忍耐力(夢や目標を達成するために必要な精神力。継続する力の養成)

    観察力(稽古は真似ることから。自分に足りないものは、周りが気付かせてくれます)

一般部:関係性の構築(手足の連動性を稽古で身に付けましょう)

    中庸の心(鍛錬により、常に精神の安定を目指しましょう)

    哲学の身体化(培ってきた思考を動作に反映させられるよう鍛錬しましょう)

空手の鍛錬により自分を知り、思考のバランスを整え、心身の調和をはかり、

気力体力が充実し、人生を心豊かに過ごせるような空手道を誠真会は目指します。

安心で安全なコースとクラス分け

空手道誠真会では、以下のコースを用意しております。

ご希望のコースを選択してください。

また、途中からのコース変更も可能ですので、気軽にお申し付けください。

◆フルコンタクトコース・・・・直接打撃を行うコースです。
◆ライトコンタクトコース・・・直接打撃ですが、手加減します。
◆ノーコンタクトコース・・・・相手の体に触れずに、寸止めするコースです。

■クラス分けは、以下の通りです。

幼年部:4歳〜6歳(未就学の男女)
少年部:7歳〜14歳(小中学生の男女)
一般部:15歳以上(高校生以上)
壮年部:35歳以上
女子部:18歳以上の女性の方

詳しくは、入会案内をご覧ください。

空手道誠真会 館長

館長 佐藤康貴

◆1975年生まれ
◆15歳で、極真会館群馬支部に入門
◆18歳で上京後、東京城南支部で稽古に励む
◆第一回群馬県交流試合 優勝
◆群馬県型競技大会 優勝
◆第16回、第17回、第18回全日本ウェイト制選手権大会出場
◆第33回全日本選手権大会出場
◆第3回全日本型競技選手権大会 4位
◆元・極真会館 弐段
◆趣味     読書 筋トレ 良質のプロテイン探し
◆好きな食べ物 ラーメン
◆嫌いな食べ物 酢豚(小学校で出た給食の酢豚に衝撃を受ける)
◆好きな俳優  ロバート・デ・ニーロ
◆好きな映画  ゴッドファーザー
◆好きなマンガ ゴルゴ13 まんが道 
◆身長177cm
◆体重70kg〜80kg

我が空手道part2   -稽古-

6月10日、私は正式に入門した。
私は居場所がなく、道場野隅っこでフラフラしていると師範代が
声を掛けて下さった。
『今日は初めてだから、別で稽古を進めるから。』
とおっしゃり、また一人の道場生を呼んだ。
呼ばれた道場生は黄帯の松山(仮名)という人だった。
『松山、お前佐藤君に基本を教えてやれ。』
『押忍!!』
松山先輩は大声で返事をした。
私は最後列に並び、礼をした後、
松山先輩と一緒に道場の隅に移動し道場での決まり事や基本を教わった。
松山先輩は言った。
『師範代や先輩から何聞かれても押忍って言うんだよ。いいえって絶対
言わない事。佐藤君は帯も年齢も一番下だから言動には気を付けなよ。』
周りを見渡すと確かに20代〜40代に見える方々ばかりだ。
松山先輩は続ける。
『いや〜、君が入ってくれて良かった。10代は俺だけだったから。』
聞けば10代は松山先輩と私だけらしい。
勿論少年部などない。
この松山先輩という方は本当にいい先輩で、この先輩がいなかったら
私は今、空手をやっていないかもしれない。
私にとって文字通り兄貴分の方だったので、この先何かと
相談させてもらうことがあり、本当に助かった覚えがある。

松山先輩に一通り基本を教えてもらった後、私は途中から稽古に
合流した。
分からない動作ばかりで疲れたが、必死で頭に叩き込もうとした。
父からも叔父からも、自分で見て覚えなければ駄目だ、誰も教えては
くれないぞ、と言われていたためだ。
今の稽古体系ならこうはいかないが、当時は師範代が一度動き、後は
それを思い出しながら動く、といった感じで稽古が進められていた。
私は横にいる先輩を真似つつ動いた。

私はこうした稽古から入ったお陰で今の自分があると思っている。
子供はこうはいかないが、(年齢によるが)大人はこのような稽古の
方がいいと思う。
手取り足取り教えてもらうと見る力(動きのポイント等)が備わないと思うし、
想像力が失われると思っている。
賛否両論あると思うが、技は見て盗め、というのは自分の技術力を高める
良い手法だと感じる。

初回の稽古は何事もなく無事終えた。
無事終えたという言い方も変に聞こえるかもしれないが、当時は毎回が
緊張の連続だった。
一歩間違えば絶対大怪我をしそうな感がいつもあったのだ。

当時私は週3回稽古に通っていた。
入門してから私が毎日日課にしていたのが、
拳立て・腹筋・背筋・ジャンピングだった。
今みたいなやり方は知らなかったので、拳立て・腹筋・背筋は300回、
ジャンピングは100回、稽古がない時は夜に、ある時は稽古前にいつも
済ましていた。
叔父からダビングしてもらった100人組手のビデオを見ながら
『いつかこういう風に動きたいなー。』
と思いながら補強していた。
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私の20世紀少年PART2

前回の続き。
を書いたのですが、都合により
お蔵入りにさせて下さい。
もし気になる方がおりましたら、別でお話します。

私の20世紀少年 
              完

まさかの初老紳士

この間、ロト6をたまには買ってみようと売場で考えていた時だ。
ふと横を見ると、50代前半のスーツを着、
背筋の真っ直ぐな身なりの整ったおじさんが購入しようとしていた。
ちょっとした紳士っぽい人だった。
身長も結構ある。髪型も整っている。
その人が超低音の声で、
『この券を調べていただきたい。この中にどうも1等があるようだ。』
と言った。
私は
「えっ!?」
と思い、その初老紳士の方を見た。
紳士のその手にはロト6かミニロトの券っぽいものが何枚かあった。
受付のおばさんに券の束を渡す初老紳士。
おばさんは
『ちょっとドキドキしますね。』
と言いながらもその声は落ち着き払っている。
私はまさかロトの1等のわけがないので、ミニロトとかナンバーズ4とか
そういった類のものだろうと思いながらも、1等を目の当たりにしたことが
なかったので、興味津々横目で見つつ、聞き耳を立てていた。
おばさんが一枚一枚機会に券を入れている間、微動だにしない初老紳士。
私は横で一人ドキドキしていた。
一体いくら当たってるのだろう?初老紳士の持ってきた宝くじの種類が
何なのか分からない私は気になって仕方がなかった。
全部の券を入れ終わったおばさんが言った。

『ハズレです、全部。』

なに!?

初老紳士は
『やはりな。』
と一言言い、向きを変えて風の如く立ち去っていった。
私は暫し呆然としたが、少ししてようやく初老紳士のオヤジギャグだったと
いうことに気付いた。
なんなんだ、一体。
外見から絶対そんなことを言う風に見えなかったので
思い切り信じてしまった。
ドキドキしてしまった自分を恥じる。
しかしくだらないギャグをいうものだ。
受付のおばさんの落ち着き払った態度はこうした類のオヤジギャグに
慣れていたからなのだろう。
こんなこと言う人って多いのだろうか?
全くこれだからオヤジギャグは困る。
ギャグがホントか嘘か微妙で分からない。

私は気を取り直してロト6を購入した。
すでにもう当たる気はしてなかったが、一応購入した。

結果はいうまでもない。

                                  おわり


上田伝説 EPISODE 3 -穴-

この男は実在し、
      この話は事実である。

上田伝説、再び。


上田は小学生の時、四角くて厚い心霊写真集を買ってよく見ていた。
上田の部屋には心霊写真集が結構あったように記憶している。
その本の中でよく覚えているのが、神隠しについて書かれていた内容だ。
過去に世界中であった原因不明の行方不明を追求した内容で、
結論はこの世界には高速で動いている黒い穴があり、その上にうっかり
立つと、異次元空間に連れていかれてしまう、というもので本の中にあった
行方不明はみなその穴に落ちてしまったから見つからない、とのことだった。
それを読んで少し怖くなった私は上田に聞いた。
「上田はこういう本を読んでて怖くないのかい?特にこの神隠しなんて
こんなの本当にあったらどうする?」
上田は
『』

私が大学2年の時だったか、上田は私のアパートの側に引っ越してきた。
上田に呼ばれそのアパートに初めて足を踏み入れた時は結構な衝撃だった。
外見はといえば、昭和を彷彿とさせる、築年数のいった雰囲気たっぷりの
2階建てアパートの2階に上田は陣取った。

私の20世紀少年 −part1ー

浦沢直樹原作の大ヒット漫画、『20世紀少年』が公開された。
マンガは面白かったが、映画ははたしてどうか?
今回は20世紀少年のノリで昔のある話を一つ・・・。
書き方は違いますが勿論実話です。

ー 1987年、夏。
まだまだ家の周りには原っぱがいっぱいあった時代。
夏休みに入った僕達は例によってその日も探検に出かけた。
セミの鳴き声がうるさい。
暑さで空気が揺らいでるように見える。
夏休みに入る前に僕達2人は秘密基地を作ることを約束していた。
今日はその秘密基地をどこに作るかを探す冒険なのだ。
いつも学校に行くのに使う裏山じゃつまらない。
行ったことのない場所を探してみよう、ということになった。
幸い、家から少し離れれば周りは森ばかり。
『木や小枝を折って小屋みたいな秘密基地作ろうぜ』
そう友人のカズと話していた。
『でも俺達だけじゃさすがに難しいだろ?』
私が言うと、カズは
『じゃあ、いつものあいつら呼ぶか?』
と言った。
あいつらとはいつも一緒に登下校するサッカー部の奴らの事だ。
俺達は10人くらいで毎日学校まで通っていた。

『あいつら、ちゃんと作るかなぁ?』
俺が言うと
『まぁ邪魔になったら帰しちゃえばいいよ。手伝わせようぜ。』
と言ってカズは早速走って呼びに行ってしまった。
集合住宅地だから家同士は近い。なので戻ってくるまで
そんなに時間はかからないと思うが・・・。
呼びに行った奴らは小5や小4ばかり。
俺達小6の同級生を呼べば秘密基地作りもはかどるのにな。
俺は今日探検してみる予定の森の前で待つことにした。
座って待つ。
毎日暑いなぁ。夏休みの宿題は今日の分やっちゃったし、あとは
基地作るのにいい場所が見つかれば今日は最高だ。
正面を見れば、遠くに赤城山が見える。
町も見えた。
空が青い。
そのせいか雲が一層白く見える。
赤城山の上にモクモクの入道雲がある。
今日はまた夕立があるかもな。
昨日も夕方1時間くらい降った。
公園で野球をしていたところに降られた。
俺達の遊び時間に降るんじゃねえよ。
毎日そう思う。
カズはまだ戻ってこない。
あいつ、何やってんだよ。マラソン早いくせに!
カズはうちの小学校のマラソン大会では無敵だった。
『もしかして全部の家回ってるんかな?大体あいつらがいる家なんて
決まってるのに。ユキの家でファミコンしてるのがほとんどじゃん。』
俺達は普段激しく動いていたので、夏休みとかになると最初のうちは
普段出来ないファミコンをしまくっていた。
俺も帰ったら燃えろ!プロ野球でもやろ。
秘密基地も作るしファミコンも思いっきり出来るし、どんだけ遊んでも
明日も明後日もその次の日もずーっと休みなんて嬉しくて仕方がない。
顔がつい、にやついてしまう。
ホントににやついてたら、坂の向こうからカズが何人か引き連れて戻ってきた。
ようやく戻ってきやがった。
『おせーんだよ!』
俺が言うと
『黙れ。俺様のおかげでこれだけの人数が集まったんだぞ。感謝しなさい。』
とカズが言ってきた。
カズが連れてきたのはカズの弟・小4のスミ。同じく小4のラッシャー。
その兄貴の小6キム。小5のユキ。小6のブー、弟の小3ゴロー。
そして俺の弟リュウまで連れてきた。
これで全部で9人。
確かにこれなら基地が早く作れるかも。





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再燃!土方歳三

最近、マイブームで土方歳三がきた。
土方歳三とは幕末の京都を震撼させた新選組の副長である。
私は興味ある人物が出来ると、その人を徹底的に調べるのだが、
土方歳三に関しては22〜3才の時、興味があり調べる内に好きになった。
それ以来、二度目の土方ブームである。
私が好きになったきっかけは、土方を好きな人は必ず通るであろう、
司馬遼太郎の『燃えよ剣』である。
それまでヒールとして捉えられていた新選組、土方歳三らを
一転、男の生き様のある種手本となるような人物として
書き上げた名著である。
この間、私の本棚にあった燃えよ剣をたまたま手に取り、
少し読み返したらまたあの感動が甦ってきた。
そういえば私が土方に流行った頃、たまたま土方関連の本が
たくさん発売され、益々土方に魅了された覚えがある。

私は土方歳三の生き方が好きだ。
男とはこうであるべきだ、とさえ思ってしまう。
燃えよ剣の下巻には私の好きな文句が色々とある。
興味がある方は是非読んで頂きたい。

第1次ブームの時、私は東京日野にある土方歳三記念館に行った。
(ここは元々は土方歳三の生家で、
つい最近まで(平成2年頃)当時のままの家であったが、
区画整理か何かで仕方なく壊し、その跡地に新しく建て、
今は土方の末裔の方々が住んでいる。)
家の一角が小さな記念館になっており、
土方の使った様々な物が展示してあるが、中でも興味があったのが
土方の愛刀・和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)が展示されているとの
ことだった。土方が死ぬ直前、市村鉄ノ介に写真と共に渡したとされている。
(この兼定には諸説あるらしい)
目の前にある和泉守兼定を見て、心が震えたのを覚えている。
--これで土方は戦ってきたのか・・・。
何とも言えない気持ちになった。
入口脇には生家から残した柱があり、その昔、土方は風呂上りにその柱に
相撲の鉄砲をよくしていたという。
また、その脇には土方が武士になりたい、という思いで植えた矢竹が
生えていた。
友人と行ったので写真を撮り、土方家付近の浅川の土手・土方の墓を回り
帰ってきた。
夕焼けが綺麗なのが印象的だった。
記念館が広くなったようなので、近々また行きたいと思っている。


『男の一生というものは、
美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている』
                          - 土方歳三





8月7日 -ど忘れの内容-

最近、崖の上のポニョの公開が始まった。
私は普段、映画を見るのが好きなのだが、宮崎映画も一応目を通している。
その中では天空の城ラピュタが群を抜いて好きだ。
ナウシカは先日のTV放映で初めて見た。
トトロは全部見たことが無い。
他のは大体見た。
しかし、やはり私はラピュタだ。
その影響もあってか、私は夏の入道雲が非常に好きだ。
いつまでも見ていたい時もある。
この間は、運転しながら思わず見とれてぶつかりそうになった。

ポニョが始まって宮崎映画を思い返した時もあったが、この間、
渋川に向かう道中、どうしても思い出せないことがあった。
何かと言うと、
崖の上のポニョの『崖』が出てこなかったのである。
何の上にいたか、どうしても思い出せない。
CM等で見たイメージしかないので情報は限られている。

『魚の上のポニョ』
・・・ちょっと違う気がする。もっと語呂が良かったはず。

『坂の上のポニョ』
・・・そうだ、確か漢字一文字で多分、ひらがな2文字くらいの気がする。

『玉の上のポニョ』
・・・これは違う。見た感が辺。

ポニョが何の上にいたのか、絶対思い出す!!
久しぶりに頭をフル回転させる。

『海の上のポニョ』
・・・・・・これの気がする。そういえば、海の上を走っているシーンがあった。
これだ!

私の中で90%決定した。
これに違いない。
ただ一抹の不安がある。
それは『崖の上のポニョ』というフレーズだ。
崖か・・・。あれ?崖だった気もする。そんな気がしてきた。
でも・・・・崖の上にいたら危ないよな!やっぱり違う。

途中、崖というフレーズがが出てきたのだが、
危ないという理由で却下してしまった。
惜しかった!
そのまま海で決定した私は、海に疑う余地もなく、
渋川道場で皆に
『ところで君達。海の上のポニョはもう見たのかい!?』
と聞いてバカにされたのは言うまでもない。
『何それ?』
と、海だけに冷たい反応だった。(これもどうか)

崖を思い出せない一人の30代男性の話でした。
                                     おしまい















ラーメン山岡家の謎

ご存じのとおり(本当か!?)
私はラーメン好きである。
空手の次にラーメンが頭の中を支配している(本当ならヤバい)。
最近、群馬県内至る所に『山岡家』というラーメン店を見かける。
1〜2度行ったことはあるが、結構好きなラーメンだ。
車で移動する事が多い私は最近山岡家を見かける頻度が多く
なってきており、山岡家の店舗を見かける度に
ある点に疑問を抱くようになっていった。
ズバリ、

『何故、中央分離帯がある道路沿いに店舗を設置している店が多い??』

という点である。
4・6車線ある道路沿いで交通量が多い場所に店舗があるのは良いと思う。
だが、中央分離帯があったら逆側から来た車は入りたくても入れない。
いちいちUターンしてまで、という利用者はやはり少ないだろう。
私が見かける店・店がいつも中央分離帯が存在する場所ばかりなのだ。
一体何故なのだ?
何故そこばかり狙うのだ?

私の中の山岡家の謎である・・・。

PS 中央分離帯のない店の目撃情報を求む。

                                おしまい

2008 夏季昇段昇級審査会 −黒帯誕生−

6月15日、夏季昇段昇級審査会が行いました。
今回は通常より若干人数が少なかったのですが、
発足4年目にして初となる一般の昇段挑戦が行われました。
挑戦者は太田I・S君。
彼の昇段挑戦までを書き記したいと思います。

I君と私の出会いは誠真会発足前、私が指導していた道場でした。
私といつも一緒に稽古していたS・Hさんの紹介で入門してきたのが
I君でした。
Sさんは整骨・整体等の仕事をしているのですがそのSさん曰く、
『自分が今まで見てきた人間の中で体が1番硬い』
とのことでした(笑)。
入門当初のI君はそんな印象を壊さない、見事な強度を保っていました。
その強度は悪魔将軍並みだと思います。
何しろ準備運動で前屈をしようと足を前に揃えると後ろに倒れてしまったり、
中段を蹴ろうとしてひっくり返ったりしたことがあったものです。
(自分の限界を超えた高さを蹴ろうとすると安定がなくなり
転倒しそうになるあれです)
あの時は未来永劫I君が上段を蹴れることはないだろうと思ったものです。
そんなI君でしたが、生来の真面目な性格もあって着実に力を付けていき、
関東錬成大会初級重量級でベスト8に入るなど、
実績も残すようになってきました。
元々野球を初め、スキーやボード、ゴルフなど実は何でも出来る
I君ですから当然と言えば当然かも知れません。
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第14回全日本青少年大会 祝!第3位

先日、全日本青少年大会に参加してきました。
今回の出場者は10名。
今大会での特筆すべき点といえば、何といっても渋川K・M君の
3位入賞でしょう!
早くからこの大会を視野に入れ、
厳しい稽古を積み重ねてきた証だと思います。
一回戦では去年の優勝者から上段で技ありを奪い勝利し、
そのままの勢いで一気に駆け上がっていきました。
個人的にはもう一つ上までいってもおかしくなかったと思いますが、
それは来年までとっておきましょう。
ただ、そうした喜びの一方、大きな反省点がよく見えた大会でも
あったと思います。
単刀直入に言えば、覇気が無かった選手が
多かったのではないでしょうか?
何のために全日本に出たのか?
記念に・思い出作りにですか?
勝負に対しては必ず勝つ!という強い気持ちを持って臨むべきですし、
本気で勝とうとして精一杯戦った結果、負けてもそれは今後につながると
思います。
ですが本気で勝つ気を持って戦った選手が
少なかったのではないでしょうか。
経験を積む場としての位置付けですが、もう少し覇気を持って
臨まなければ経験として何も残らない気がするのです。
勝敗にこだわってるわけではなく、折角の大舞台なのだから
もっともっと頑張って戦わないと勿体ない。
勿論素晴らしい戦いをした選手もいます。
去年3位の太田N・Tも今回は負けましたが、
壇上に上がった時・礼をする時の声の大きさ。
広い体育館に響き渡るのでは、というほどの大声で
礼節をしていました。
見ていて清々しかったです。
Tだって大変緊張するタイプの人間です。ですがそうして大声で入り、
果敢に最後まで攻め続けました。
館林N・Kも一回り体格の違う相手に歯を食いしばり攻撃し続けました。
緊張・体格差・経験・・・関係ありません。
本人の試合に対する思いの差だと思います。
体格差を言い訳にするなら渋川K・Mの相手なんか差があり過ぎて
勝てるわけがありません。
しかしMの負けた相手はMよりはるかに小さい選手でした。
技術も勿論ですが、気持ちが強いのでしょう。
要は根性でしょう。

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